女声を頭で考える。
感覚で習得すべきものを敢えて頭で考えてみます。とか言いつつただの戯言だったりします。
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そこで、少し試してみる事にした。
当分カラオケにも行ってなかったので、勿論、女声で歌を歌う機会もなかったが、
久しぶりにカラオケに行き(一人で)、女声を意識して何曲か歌ってみた。
すると、体感で分かるくらいに、"劣化"していると感じた。
劣化と言っても、女声の部分ではない。女声の部分は以前とたいして変わりがなかった。
以前のような感覚は結構ぱっと思い出せた。
そこではなく、音域だ。以前出ていた音域が、確実に出なくなっていた。
確かにというか何と言うか、声帯付近のどっかの筋肉は劣化したんだろうが、
これって、女声を出すのに関係してる筋肉なのかと、ふと思った。
単純に、歌う時に高い声を出すのに必要な、なんたら甲状筋とかいうやつが
劣化したんじゃなかろうか、と。
となると・・・。
家に帰って、再び女声の練習。
と同時に、かつての自分の動画も聞き直してみる。
すると、ダイナミックレンジの幅は、今も昔も変わっていない。
歌声の音域は確実に、高い方から何音かは失われていた。
のに関わらず、抑揚の幅は変わってないのだ。
ちょっと思い返してみる。
僕は女声練習を始めて、どのくらいでそれっぽい声が出るようになったか。
1週間くらいじゃなかったかと、投稿した動画を確認すると、一番最初に投稿したものでも、
1ヵ月は経過していた。
記憶なんて、ほんとこんなもの。
自分が酷い女声を出している一番最初の動画から確認してみる。
もう、汗が止まらない。こいつ馬鹿じゃないかと思う事を口走っている。
不特定多数が閲覧できる場所に、よくこんなものをうpできたなと、悪い意味で
自分に感心する。今もたいして変わってないが。
いや、逆にこういう羞恥心があってはダメなのかもしれないというのは何となく分かるが。
前向きに検討していく事とする。
兎も角、クオリティはどうあれ、音だけは1~2ヶ月でそれなりに出るようになっているようではあった。
そして恐らく、動画を投稿し始めた時期から、何らかのきっかけで歌練習のみにシフトしていった。
伸び悩み、というかダイナミックレンジの幅が足りない事を動画内でも卑下しているようだ。
だからこそ、歌練習によって音域を伸ばし、それによってダイナミックレンジの幅も伸びるものだと
信じて疑わなかった。
各情報サイトや女声関連の本にも、歌の時に使う筋肉と喋りの時に使う筋肉に違いはないと
記載されているのも手伝って、僕はそれを疑わなかったのだ。
だが今、本当にそれは正しい情報なのかという疑問が湧いている。
いや、情報自体は正しいとしても、何か不確定要素が絡んでいるんじゃないか?と
少なからず思っている。
まず、そういった情報の中で比喩されている表現としての疑問点。
よくよく、喋りは歩きで、歌はランニングだという比喩を聴く。
しかしそれはどうかと思う。
喋りが歩きなのは分かる。だが歌が何故ランニングなのだろう。
歌のジャンルやらにもよるが、だいたいは感情を開放して全力で成すもの。
僕はそう思っている。
ならば、ランニングではなくて全力疾走ではないか。
時に、ランニングと全力疾走では使う筋線維が違う。
・負荷の低い運動では遅筋線維が
・負荷の高い運動では速筋線維が
動員される。
喉頭筋群もそのような作りになってるかどうかなんてのは兎も角として、
比喩が間違えているのではないか。若しくは比喩すべきものを間違えているのではないか。
そして、どこにもその実証がないという事。
つまり、歌の時に使う筋肉と、しゃべる時に使う筋肉が同じである根拠が、分からない。
全く違うとは流石に思っていないが、全く同じとも思えない。
同じという論拠を提示して欲しいくらいだ。
前回、前々回の記事と統合して、結論としては
劣化するほど筋肉を鍛えてもいない という事と、
僕が鍛えていた筋肉は、あくまで歌を歌う時に高い声を出す筋肉で、
それ(輪状甲状筋?)は喋り声としての音域を広げてくれるものではなかった
というものに終止した。(輪状甲状筋については仮説程度)
ついては、これからの施策として、実技実践を目安にしようかと思う。
つまり、速く走るためにスクワットとか兎跳びとか、所謂筋トレに重きを置くんじゃなくて、
とにかく走る! みたいな。
~~~~~~~~~~~~~~~
こう書くとめちゃくちゃ頑張るみたいなイメージ持たれるかもだけど、
たぶんまったりです。
あ、あとごめんなさい、間違ってる部分はたぶんあるんじゃないかと思うので、
ブログの諸注意にも書いてありますけど、絶対に記事は鵜呑みにはしないで下さい。
もしお詳しい方がいらっしゃったら、是非とも情報を頂きたいです。
ガーっと書いちゃったから、また纏まってないんだなぁ、と思いつつも、
以上で今回の記事は終わりです。
長文失礼しました。
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年度も変わったし、機材の整理をしようとしていた時。
既に使わなくなっていたUA-55と、マイク。よくブレスノイズが乗るから、
ポップも付いている。
UA-55に関しては、スピーカーの性能向上に役立っているからいいものの、
このマイクに関しては何にも用途がなかった。
何気なくTwitterでつぶやいた。
すると、生すればいいじゃない、と。
実際そんなくだけた言い方をされたわけじゃないが、そんなニュアンスの返答を、
かつてお世話になっていた人から頂いた。
それもそうだ。
そもそも生放送をしようと思って買ったものだ。
よりクリアな音質で声を聞いて貰いたいと思って、何度も機材を買い換えて、
ようやく辿り着いた機材なんだ。
生放送以外に使うのは、こいつに失礼だ、とそう思った。
先日、久しぶりにニコニコで生放送をした。
勿論、過疎放送。かっそかそだ。それでも、誰かが自分の声を聞いていると思うと
結構緊張する。
幸か不幸か、コメントを頂けるのは女声関連の人しかいない。
元々そういう目的で作ったコミュニティだから当たり前といえば当たり前だ。
なんとなく、懐かしい感じがした。
昔はお世話になった人も結構いたなぁ、とか思ってしまう。
今はみんなどうしてるだろうとか思ってしまう。
そうなると、悪い癖というか何と言うか、手が勝手に調べてしまう。
今はどんな人が女声放送してるんだろうかとか、あの人はどうしてるだろうとか。
女声に関する情報に変化はあるだろうかとか、あれ以降、出版された本があるかとか。
そうこうしている内に、また興味が湧いてくる。
他の人の放送を聞いている内に、こういう声が出したいなとか、この人の喋り方は特徴的だなとか、
主に妄想が先行して、その後にモチベーションが付いてくる。
昔の要領を思い出しながら、女声を出そうとする。
思うように出ない。そりゃそうだ、練習も何も、当分していない。
"劣化"というワードが頭をよぎるが、しかし、以前にも似たような事があった。
そうだ、前もどこかで練習をやめて、"リハビリ"をしたような気がする。
という事で色々経緯を探る中、以前自分が書いた記事をみた。
証跡はこのブログしかなかった。研究する者として証跡の記録が少ないのはどうかというのは
置いておくとして、以前の記事にはこう書いてあった。
------------------------
"そんなこんなで、以前のソレを取り戻す事は出来たものの、やはり維持できない。"
"一言二言で喉がつらくなり、声を戻してしまう。"
"劣化しているのは声ではなく、声帯周辺の筋肉郡であるのだろう。"
------------------------
要は、以前は女声は維持できたが、声帯周辺の筋肉郡の劣化でそれが出来なくなった、と読み取れる。
自分が書いた文章にも関わらず、本当にそうか・・・? と思ってしまった。
というのも、僕はそもそも、喋りにおいて長時間、女声の喉を維持できた試しがなかったはずだ。
僕の動画を見て頂けた方に補足するとすると、あの10分程度の女声の練習動画は、約1分間頑張って
維持したものを繋げに繋げたものだ。更には、動画の中で度々休憩を入れているはずだ。
以前の生放送の時も同じだ、というか生放送で女声で喋った事など殆どないではないか。
記憶というものは、しばしば脳が書き換えを行う。自分の都合のいいように。
日本外の国の、有名な人がそんな事を言ってたような気がする。
この時の僕は、昔は維持できたと思い込んでいた、という事ではなかろうか。
勿論、今も記憶が嘘をついている可能性は否定できないが、記録は嘘を付かない。
練習を始めた当初から数ヶ月、延々と録音したものを残しているが、長時間継続して女声を発声している
記録はないのだ。
(すみません、まだ続きます・・・)
(すみません、まだ続きます・・・)
お久しぶりです。実に1年半ぶりという体たらくですがご容赦を。
またむくむくと女声の興味が湧いてきたのと、気付いた事、というか研究材料が増えたので
色々と復帰させようと思います。ご挨拶はここまで。以降記事です。
(この"その1"だけだと本題に辿り着いていません。長くてすみません。)
(この"その1"だけだと本題に辿り着いていません。長くてすみません。)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
前回の記事の題名に、リハビリという言葉を使って投稿した。
実際、その時は、女声が(というか喉周辺の筋肉群が)劣化していると"思った"からそういう言葉を使った。
しかし実際は、劣化するほど鍛えられていなかったというのが今回の結論である。
以下経緯(いらないと思うけど一応。)と、ちょっと思ったことも踏まえて。
■練習開始当初 2010年2月1日~
僕は、元々練習方法として、裏声の強化に重きを置いて練習をしていた。
(裏声アプローチで、所謂アニメ声のような声をだそうとしていたため)
しかし、ぽそぽそと喋る形だと劇的な変化は望めないと思ったため、主にカラオケBOXに足を運び、
声の出し方や裏声の声量・音量の調整、そして女声に聞こえるかどうかを確認するため、
録音機器を持参して何曲か歌ったものを録音し、後から確認するといった事を約1年程度繰り返した。
録音機器を持参して何曲か歌ったものを録音し、後から確認するといった事を約1年程度繰り返した。
女声に聞こえるかどうか、という点に関しては、"それなり"だった。
一生懸命女声を出そうとしているおっさんの顔をイメージして聞けば、おっさんの裏声に聞こえるし、
女性のアニメキャラをイメージすれば"それなり"には女声に聞こえるような感じだった。
劇的に上達したかと言えば、そこまでの変化は見られなかった。
しなしながら、音域に関しては変化があった。確実な変化だ。
元々の最大音域の2,3音上くらいの音が出るようになった。
逆に低い音が失われる、といった事はなかったが、低い音が出にくくなった感じはあった。
(音が出なくて)歌えなかった歌が歌えるようになったのは単純に嬉しかった。
■練習頻度低下~停止 2011年頃
歌の練習によって音域に変化はあったものの、ダイナミックレンジ(声の、というか喋り言葉の抑揚の幅)
に変化がなかった。
つまり、喋る時の音域に変化が出なかった。
より女性らしく喋ろうとした時、例えばテンションが上がった時、喜びを表現する時等、要は
感情を表現する際の、音の幅が必要になってくる。
純女さんで魅力的な喋り方だと感じる方や、女声がうまいと感じる方の喋り方には、
(あくまで個人の意見だが)高低がしっかりついており、女性の、女性としての華やかさを感じる。
カラフルであるのだ。
しかし僕にはそれがない。抑揚をつけるのに必要な、というか必要最低限の音の高さがない。
そしてその変化が、歌の練習によってまったく見られなかった。
モチベーションは徐々に加工し、女声に対する興味も次第に薄れ、結果、なかった事にしてしまった。
■声の高さに関してと、その他思った事(ていうか思っていた事)
「音の高さは女声には必要ない」、という短文をそのまま信じ込んでいる人がいるが、意味合いを理解
していない人は多いと思う。
音を高くしただけでは女声には聞こえない、起点としての高さはそこまで必要ではなく、ある程度低くても
女の声に聞こえる音を出す事ができる、というだけで、ダイナミックレンジに関しては触れていないのだ。
上記でも触れた、感情の表現に際して、音の高さはあるに越した事はない(起点にもよるが)。
また、ジェンダー的なイメージとして、どこの国でも、高い音を女性のイメージとして捉える節がある。
楽器で男女を表現しようとした時、女性を表現するのにわざわざ低い音で表現する奏者はいない。
イメージの段階で、そういった観念が未だにあるからこそ、妙に高い声で喋る男性、もしくはあからさまに
低い声で喋る女性に対しては、世間一般としては特殊なもの、異質なものとして捉えられているはずだ。
意識レベルで、発生周波数に依存して然るべきものなのだ。
慰めの言葉として、活力を見出させる使い方で、同じような言葉を使うのならまだいい。
しかし、この言葉は短文で使うと確実に誤解を招く。
この言葉だけの話ではない。
女声練習の生放送で、コメントでアドバイスしている光景を何度か見かけるが、
どこかのアドバイスで使われた短文だけをコピペしているかのように、何処でも彼処でも同じ短文で
コメントを投げかけたりする人もいる。
どういう女声を出したいか、どんな風になりたいか、というのを無視して、だ。
しかも何故か、そういう輩は184付きでコメントしているから、更に胸糞が悪い。
反論コメント等は、基本的に嫌な流れになる傾向が高く、放送主に悪いので控えているものの、
それによって何か悪影響になりやしないかと心配したりなんかしちゃったりする。(特に若い子とか。)
アドバイスする事が悪いと言っているわけではない。
むしろ的確なアドバイスをされてる方の方が多いんだと思し、素敵な事だと思う。
でもほんと、自分のある程度の所在さえ隠して、アドバイスと称して短文だけ投げかけるだけの行為は
やめて頂きたい。せめて184外してコメントして欲しい。
(気付いた事等に続く)
体の感覚っていうのは、長い間その部位を使っていないと、どうしても忘れてしまう。
高校時代、陸上で短距離走者だったが、今となっては走り方を完全に忘れてしまった。どう見てもどんくさそうなおっさんの走り方だ。
それでも、ひとたび練習に励む事が出来れば、本来その感覚を掴むまでに掛かった時間よりも早く、感覚を得る事ができる。”取り戻す”というんだろうか。
生物学とかに詳しいわけではないが、一度体験した感覚は、体が覚えている事が多い。
女声のリハビリを始めてから、自分が女声を始めた時の音声を引っ張り出して聞いていた。
女声を始めたのは凡そ2年半前だ。昔であろうと今であろうと、自分の声を聞くのは凄く恥ずかしい。
誰にも聞かれないと思って録った音声なので、よくよく恥ずかしい事を口走っていたりする。
そんな冷や汗ものの音声を聞きながら、同じ音、同じ発音、同じ口調で真似をする。
そんなこんなで、以前のソレを取り戻す事は出来たものの、やはり維持できない。
一言二言で喉がつらくなり、声を戻してしまう。
劣化しているのは声ではなく、声帯周辺の筋肉郡であるのだろう。
元々、本来使わないはずの筋肉を覚醒させて使うものだ。本来使わないのだから、勿論普段から使わない。
普段使わない筋肉は、当然衰えてしまう傾向にある。
劣化論はまぁどうでもいいとして、今回のリハビリは「取り戻す」事ではない。
喉周辺の筋肉郡の鍛錬に加えて、純女の発声のどこに女らしさ、もしくは興奮を感じるのかについて学んで行きたい。
高校時代、陸上で短距離走者だったが、今となっては走り方を完全に忘れてしまった。どう見てもどんくさそうなおっさんの走り方だ。
それでも、ひとたび練習に励む事が出来れば、本来その感覚を掴むまでに掛かった時間よりも早く、感覚を得る事ができる。”取り戻す”というんだろうか。
生物学とかに詳しいわけではないが、一度体験した感覚は、体が覚えている事が多い。
女声のリハビリを始めてから、自分が女声を始めた時の音声を引っ張り出して聞いていた。
女声を始めたのは凡そ2年半前だ。昔であろうと今であろうと、自分の声を聞くのは凄く恥ずかしい。
誰にも聞かれないと思って録った音声なので、よくよく恥ずかしい事を口走っていたりする。
そんな冷や汗ものの音声を聞きながら、同じ音、同じ発音、同じ口調で真似をする。
そんなこんなで、以前のソレを取り戻す事は出来たものの、やはり維持できない。
一言二言で喉がつらくなり、声を戻してしまう。
劣化しているのは声ではなく、声帯周辺の筋肉郡であるのだろう。
元々、本来使わないはずの筋肉を覚醒させて使うものだ。本来使わないのだから、勿論普段から使わない。
普段使わない筋肉は、当然衰えてしまう傾向にある。
劣化論はまぁどうでもいいとして、今回のリハビリは「取り戻す」事ではない。
喉周辺の筋肉郡の鍛錬に加えて、純女の発声のどこに女らしさ、もしくは興奮を感じるのかについて学んで行きたい。
練習を再開したものの、既に壁に阻まれている。
女声の音を出す練習にしても、喋る練習にしても、約半年放置していたそれは酷く劣化しているように思えた。
カラオケにもほとんど行ってなかったため、地声の歌ですら安定しない。
"継続は力なり" という言葉の重さをただただ実感するだけだ。人の能力の部分の大半は、才能ではなくて、連続した日々の中で過ごしてきた時間そのものであるのだろう。
限りある時間の中で、色んなものに手を出しすぎていると、高い山どころか、せいぜい盛り上がった平地くらいにしかならない。山になる必要はなくとも、人は(少なくとも僕は)高く猛々しいものに憧れてしまうのだ。
こんなどうでもいい比喩を日記に記載するのはちょっと気が引ける。恥ずかしい。
それでも、活路を見出すには、どんな事でも良いから一度組み直す必要がある。
どんな事でもいい。感情の変化でも、声の変化でも、肉体や精神の変化でもいい。
記事に全部書き残して、洗い直す必要がある。
見苦しい文だと思う。申し訳ない。
女声の音を出す練習にしても、喋る練習にしても、約半年放置していたそれは酷く劣化しているように思えた。
カラオケにもほとんど行ってなかったため、地声の歌ですら安定しない。
"継続は力なり" という言葉の重さをただただ実感するだけだ。人の能力の部分の大半は、才能ではなくて、連続した日々の中で過ごしてきた時間そのものであるのだろう。
限りある時間の中で、色んなものに手を出しすぎていると、高い山どころか、せいぜい盛り上がった平地くらいにしかならない。山になる必要はなくとも、人は(少なくとも僕は)高く猛々しいものに憧れてしまうのだ。
こんなどうでもいい比喩を日記に記載するのはちょっと気が引ける。恥ずかしい。
それでも、活路を見出すには、どんな事でも良いから一度組み直す必要がある。
どんな事でもいい。感情の変化でも、声の変化でも、肉体や精神の変化でもいい。
記事に全部書き残して、洗い直す必要がある。
見苦しい文だと思う。申し訳ない。
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